【第3回】武藤真祐さん

muto
ひょんな巡り合わせで、医療に携わる方にお話を伺うことができた。しかも、今、いろいろなところで耳にする在宅医療専門のクリニックの方。これまで、とむらい.comと掲げながら、お医者さんにインンタビューと考えたことがなかったのが迂闊だった。なぜだろう?お忙しいだろうとは思いつつも、思い切ってオファーしてみたところ、快く受けて頂いた。物腰柔らかくもタフな人、というのがインタビュー後の感想。そんな武藤真祐さんのインンタビューです。
聞き手:櫻井 洋次

Childehood
−−−子供の頃、身近な人の死に最初に接した時の感情で、覚えてることってありますか?
武藤「5歳くらいのとき、母方の祖母がなくなったのが、最も古い記憶です。一緒には暮らしてなかったので『亡くなった』という知らせが来ても、なんとなく実感がわきませんでした」
−−−小さい時ですからね。
武藤「でも葬儀に出た時、多くの人が集い儀式を行うのを見て『あぁ、もうどうやっても会えないのだな・・・』と思いました」
−−−「もう会えない」っていうのは、一番の悲しみかもしれませんね。
武藤「また、医師になりたての頃でしょうか、父方の祖母の葬儀を迎えたときのことです。出席されていた方々から、自分の知らない祖父の『外での一面』を聞き『そんな姿もあったのか』と多少の驚きを感じたことを覚えています。孫として接した部分は、祖父の一側面であったことを感じました」
−−−人に接した分だけ『その人』があるということでしょうか。

Aimed at doctors
−−−医師になるきっかけになる出来事って何かあったのですか?
武藤「小学校に上がる前、5〜6歳の頃でしょうか。父に手をひかれて『野口英世展』を見に行きました。これが、その後の人生に大きな影響を与えました。子供ながらに『人を救う』とは凄いと、強烈に感じました。しかも、ハンディキャップもあったことを思うと、その努力と意志の強さに圧倒されました。それからですね、医師になろう、自分も人を救いたいと感じるようになりました」
−−−6歳からだと、途中で別の職業に憧れとかは?
武藤「なかったですね。医師に向けて一直線でした。でも後に考えてみると、野口英世は研究者だったので、臨床医とは違いましたね(笑)」
−−−(笑)なるほど。

Home Care
−−−現在は在宅医療のクリニックを立ち上げられたということですが。
武藤「はい、今年2010年1月にスタートしました」
−−−外来ではなく在宅医療を選択された理由は?武藤「病院勤務中に、非常勤勤務で在宅医療を経験しました。その経験での気づきは、これまで知っていた入院—外来においての患者さんとのかかわりがほんの数分であったこと、しかも医師・病院が中心であったことです。」
−−−そうですね。
武藤「しかし在宅医療は全く違います。中心は患者さん・家族です。医師は、患者さんと家族の『こうありたい』を実現するのをサポートする立場なのです。そして、自分はこちらのほうが自然であると感じています。」

Myself
−−−医師として多くの死にも接してこられたと思いますが、ご自身の死で考えていることってありますか?武藤「充実した生活が送れているときには『いつ死んでもいいな』と思っています」
−−−その言葉、もっと掘り下げたいです。
武藤「私には『いつも過去の自分と競争している』という意識があるのです。過去より今の自分が勝っているときには、人生で最も充実したところにいるわけですから、そこでバサッと人生が途絶えることは、理想的であるとすら感じます。あくまでも自分の人生を客観的に見て、ということですけれども」
−−−なかなかタフな考えですね。
武藤「反対に、過去の自分に負けてるな、と思うときには『まだ死ねない』と」
−−−凄い!
武藤「このような考え方も、今この年齢で思うことですから、また歳を経るごとに変わっていくものだと思っていますが」
−−−また、その時はインンタビューさせてください(笑)本日はお忙しい中、ありがとうございました!
武藤「ありがとうございました」

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武藤 真祐(Shinsuke Muto)1971年生/埼玉県出身
祐ホームクリニック 千石 院長
認定内科医、循環器専門医、医学博士
NPO法人ヘルスケアリーダーシップ研究会 理事長
1996年東京大学医学部卒業、2002年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。
東京大学医学部附属病院、三井記念病院にて循環器内科、救急医療に従事後、診療所にて在宅医療に携わる。
その間、2年半宮内庁で侍医を務めた経験を持つ。

【ホームページ】
祐ホームクリニック 千石
http://www.you-homeclinic.or.jp/

NPO法人ヘルスケアリーダーシップ研究会
http://ihl.jp/