【第4回】上松ヒカルさん

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今回はイタリア語を武器に日伊両国で活躍されている上松さんにお話を伺いました。英文科を出たのにも関わらず、アクティヴさの欠片もない自分は、こういった方に、一種の憧れを持っている。そして、私自身は漠然と国内での死しか考えていなかったが、国外での死というものもあるのだな、ということを身近に感じました。そんな上松ヒカルさんのインンタビューです。

聞き手:櫻井 洋次

Speak to Me
−−−両国でご活動とのことですが、一年にどのくらいイタリアに行かれるのですか?
上松「そうですね、滞在はちょうど半々ぐらいですね」
−−−最初にイタリアに行かれたのは?
上松「もう12年も経ちます。イタリア語は、現地で仕事しながら、個人教授に半年、学校に2年通いました。」
−−−直接現地で学んだのは凄いですね。

Eclipse
−−−子供の頃、死を感じたのは、どんなときですか?
上松「4歳ぐらいの時かな?父方の祖母が危篤という連絡があって、三鷹の祖母の家に父に手を引かれていったんですね。家に入ったら祖母が揺り椅子に腰掛けていて、顔をみると頬が紫色になっていて。子供の頃だから死斑なんか知らなかったしね。」
−−−あきらかに普通の状態ではないと?
上松「そう、ショックでした。祖母は写真でみると綺麗な人なんだけども、亡くなった顔の印象が強くて、いまでも祖母を思い出すとその時の顔が思い出されてしまう」

Dark Side of the Moon
上松「11歳の時、小学校の卒業遠足に行った時、帰りのバスが解散場所に早めに着いて、それでも迎えの父兄さん達が沢山いたんだけども、私の家族だけいなかったの」
−−−子供の頃はそういうの少し寂しいですよね。
上松「そうしたら、友達の母親がすっと寄って来て『ヒカルちゃん。あなたの所でお葬式をやってるけど、誰がが亡くなったの?』って言われて、とにかく驚いた」
−−−唐突にそんなこと言われたら、子供でなくても驚きますね。
上松「それで走って家まで帰ったんだけれど、道中ずっと『おじいちゃんだったらいいのに』って思って走ってたの」
−−−それは?
上松「当時は両親と妹と祖父で暮らしていて、祖父が入院していたのは知っていたのね。で、お葬式をやってることは『誰かは亡くなっている』ことでしょ?両親や妹は亡くしたくない、耐えられない。だから、せめて、患っていたおじいさんでありますようにって考えたのだと思う」
−−−複雑ですよね。突然だから動転もあったでしょうし。
上松「それで家に着いて、門から駆け込んで、直接庭から遺影を見たら、その写真がおじいさんで『ああ、よかった』と安堵すると同時に、自分はなんて冷たい人間なんだろうと思った。だって、亡くなったことを悲しいと思う一瞬前に『よかった』という感情が交じったんだから」
−−−自分の感情と正直に向き合うのは辛いですね。
上松「その後、泣きながら家に入ったら、お葬式に来ていた隣のおばさんが抱き止めてくれて。それもよく覚えてる」
−−−いい温もりですね。
上松「死んだ人が『自分の一番大切な人』じゃないで欲しいというのは、少し嫌な感情ね。あんな好きだったおじいちゃんなのに」

Mother
上松「母はくも膜下出血で突然亡くなった。まだ57歳だったのにね・・・」
−−−まだ早い、という感じですね・・・。
上松「母方の祖母が52歳で亡くなったから、母は52歳になったとき『母の年齢を超えた』としみじみしてたのね。だから、私も57歳になったとき同じく、しみじみした」
−−−しみじみでしょうね・・・。
上松「母が亡くなったとき、お通夜の時に白い蝶が迷い込んで来て、母の棺に止まったのね。その時、私は『あ、母が観に来たな』と思って、妹にも言ったの『あれ母みたいじゃない?』って」
−−−亡くなったお母様ですね。
上松「通夜の間、棺にずっと止まってたんだけど、明け方、祭壇の最上段まで飛んで、突然スッと落ちて動かなくなった。偶然なだけかもしれないけど、私の中では母だなって思ってる」
−−−幻想的ですね。「ラストエンペラー*1」の蟋蟀みたいに。

Satake’Princess in Our house
上松「ラストエンペラーじゃないけど、私が子供の頃、杉並の家に佐竹の姫が間借りしてたことがあったの思い出した。和式の家なのに、一室だけ襖に鍵の付いてる部屋があって」
−−−佐竹って「人取橋の戦い*2」で政宗と戦った佐竹氏ですか?
上松「そうそう、知ってる?」
−−−その辺の歴史好きなもので。でも、突然出て来てびっくりしましたが。佐竹の姫!子供の頃って江戸時代とかじゃないですよね?
上松「ぜんぜん昭和よ(笑)まだご存命なら、是非お会いしたいひとりですね」
−−−襖に鍵っていうのも横溝*3っぽくて、よいですね。

Father
上松「父は晩年、2年程患っていて、結婚前に、旦那とお見舞いに行った時のことなんだけれど」
−−−旦那さんにとっては緊張する対面ですね。
上松「そうしたら、父が私の旦那に『こんなところまで来てもらったけど、君になにもしてあげられない。私からのせめてものお祝いだ』と言って、自分の着けていたブルートパーズを渡した。そこで『娘を宜しく頼む』とか言わないのが、男同士の語らいみたいでいいなと思って見てた」

Any Country I Like
上松「死ぬ場面の想像はよくする。今乗ってる飛行機が落ちるかもとか(笑)でも、結局は考えてもわからないでしょ?」
−−−そうですね。
上松「だからイタリアでも日本でも、どっちで死んでもいいとは思ってる。伊達政宗じゃないけど『此の世には客と思えば不足なし*4』って、日本とかイタリアとかじゃなくて、もっと大きく括ると変わらないと思う」
−−−本日はありがとうございました!
上松「ありがとうございました」

*1「ラストエンペラー」(The Last Emperor)・・・1987年伊中英合作、ベルナルド・ベルトルッチ監督による、愛新覚羅溥儀の生涯を描いた映画。原作は溥儀の自伝「わが半生」
*2 人取橋の戦い・・・天正13年(1586年)伊達氏と蘆名氏、佐竹氏ら奥州の諸大名による合戦。
*3 横溝正史(よこみぞ せいし)・・・小説家。代表作に「八つ墓村」「犬神家の一族」等がある。
*4「此の世には客と思えば不足なし」・・・伊達政宗の遺訓。「気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。」という条文だが、後世、小説等によって様々な表記で表現されている
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上松ヒカル(Hikaru Uematsu)東京都出身イタリア語通訳・翻訳家日伊両国にて活動を行っている。